安政五年創業 大阪難波 浪芳庵

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未来へ続く歩み

未来へ続く歩み - 1

浪芳橋のたもとにて安政5年~昭和20年代

商人のまち大阪・難波、浪芳橋のたもとにて創業。

 時は江戸幕府が終わりを迎えようとしていた安政5年(1858年)、現在の道頓堀の西の外れにかかっていた浪芳橋のたもとにて、初代河内屋秀治郎が焼き餅を販売。浪芳橋の歴史はここからはじまりました。
当時の浪芳橋の周辺には、淡路島や四国と往来する商船の船着場や宿があったこと、さらに大国神社への参詣道があったことから人通りも多く、参道では野菜や果物を売る青物市場なども開かれていました。船で旅立つ人、また神社へ参拝する人たちがささやかな楽しみとして、秀治郎の売る焼き餅をほおばっていたことでしょう。

  • 安政 安政2年、江戸にて安政の大地震が発生。安政5年には第14代将軍に徳川家茂が就任。
  • 万延 万延元年、桜田門外の変が起こる。
  • 文久 文久2年、京都・伏見の旅館で寺田屋騒動が起こる。
  • 元治 元治元年、第一次長州征伐。
  • 慶応 慶応2年、第15代将軍に徳川慶喜が就任するも、翌3年に大政奉還。

なにわの子供たちに愛された、思い出の紅白饅頭。

 明治10年(1877年)に二代目井上己喜松が就任。創業当初の屋号は河内屋でしたが、焼き餅が「浪芳餅」として人々から愛されたことで、屋号も「浪芳餅」としました。さらに大正5年(1916年)に三代目井上喜三郎が就任。この頃から焼き餅のほかに焼き菓子も販売するようになりました。
 当時のエピソードとして、お正月や紀元祭(建国記念日)、入学式や卒業式などの佳節には、私たちがお店を構える大阪市浪速区の全小学校に「紅白饅頭」を納めていたようです。今でもお客様のなかには、小さい頃に小学校の季節行事でもらったという懐かしい思い出をもって、当店にお菓子をお買い求めにいらっしゃる方もあります。

  • 明治 明治22年に大日本帝国憲法が発布。明治27年に日清戦争、明治37年に日露戦争が開戦。
  • 大正 大正3年に第一次世界大戦がはじまる。

戦局が拡大していくなか、苦しいときこそ前を向いて。

 昭和も10年代に入ると、太平洋戦争も激化の一途を辿り、市民生活も脅かされるようになっって、食料や資源も不足しはじめました。当然のことながら、配給も不足し、独立状態での営業が難しい大阪市内の小さな製菓業者は次々と統合。そうした年々刻々と悪化する戦時経済のなか、「浪芳餅」は地域の人々をはじめとした多くの方々に支えられ、きびしい局面でもなんとか独立営業を続けることができました。

今はなき創業場所であった浪芳橋を記したイラストマップ(再現)

  • 昭和 昭和14年に第二次世界大戦が勃発し、昭和16年に太平洋戦争開戦に発展。

終戦の激動を生きて。

 昭和20年(1945年)3月13日の大阪大空襲で難波一帯が焼け野原となり、「浪芳餅」も店舗を焼失。8月の終戦を迎える頃は、疎開先であった京都府相楽郡吐師でお菓子を創っては、近鉄電車に乗り、大阪の鶴橋まで卸しに行っていました。そして10月に店舗を難波新地3番町(南区)に移転。働き手もいない、物資もないという無いないづくしのなか、三代目・井上喜三郎が建てたバラック小屋からの再スタートでした。
 昭和21年(1946年)の春には戦争に行っていた井上幹三(後の四代目当主)が復員。モノのないなかであっても、本物のお菓子を作りたいという思いから、サッカリンではなく砂糖を求めて親子で闇市を駆け回ったこともありました。

  • 昭和20年 8月6日に広島、9日に長崎に原爆が投下。8月15日に降伏し、終戦。

たくましい子どもたち。

 戦後の極端にモノのない時代でしたが、奈良県には幹三の妻・静枝の兄弟や親戚が住んでいたこともあり、桜井から小豆を、郡山からお米を購入し、なんとか本物のお菓子を届けることができました。
  また、当時を物語るエピソードとして、柏餅に使う柏葉を長谷寺のまわりに住む小学生たちが集め、それを仲買人に売ってお小遣いにしていたという話も残っています。大阪から離れた奈良の地で、小さな子どもたちが柏餅づくりに一役かってくれていたのですね。

  • 昭和23年 プロ野球で初めてのナイターが行われる。
  • 昭和24年 湯川秀樹氏にノーベル物理学賞が授与される。

戦局が拡大していくなか、苦しいときこそ前を向いて。

 朝鮮戦争が終わった昭和25年(1950年)、日本を統治していたGHQも撤退し、ようやく大阪の人々の暮らしにも落ち着きが戻った頃、後の四代目・井上幹三が大阪府生菓子協同組合の理事に就任。また9月に発生したジェーン台風も、浸水ギリギリでなんとか難を逃れることができました。
 お店では「あんころ餅」が手みやげとして大人気になり、店先で作っては売っていたアイスキャンデーも、子供から大人までたくさんの人に愛され、その後15年近く販売を続けました。

 昭和28年(1953年)、店を会社化したことに伴い、屋号を「浪芳」に変更。昭和29年(1954年)には南堀江に私設市場ができたことをきっかけに、はじめての支店となる南堀江店を開店しました。自動販売機などなかった時代、夏になると市場の買物客に販売していた「冷やしあめ」がとても好評でした。また井上幹三が大阪府生菓子協同組合の第4代理事長に選出され、餡の価格の安定と品質保持を目的に、共同製餡所の開設に向け奮闘したのもこの年でした。

難波新地3番町にあった店舗。アイスクリームの冷凍庫も見える

  • 昭和28年 洗濯機、テレビ、冷蔵庫が家庭に普及し、「電化元年」と呼ばれる。

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